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6年   [心]

6年の月日が経った3月11日は長谷観音で追悼の鐘の音を聞いた。

津波で何もかも流された町に行ったのは1ヶ月後の4月だった。
そこで見た風景は地球のものではなかった。月のクレーターにいるかと思うくらいの衝撃だった。すべてが天地をひっくり返し、ごちゃ混ぜにし、人の存在は浮遊のなかにあった。

6年前にこのブログにもその時のことは書いた。それ以降に自分の中で変わったことは文章にも現れた。僕が、私が、という一人称は最低限でしか使用しないようになった。

震災1年後の3月11日には行き場所がわからなくて長谷観音にいた。そして今年もまた気がつくと同じ場所にいた。

いまでも自分でできることをいつも考えている。それが直接に関わることではないが生き方として、生きる哲学として実行している。



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幹     [心]

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葉という衣を脱いだ冬。
幹の強さに心打たれる。
人としてこうありたい。



帰省の海   [心]

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帰省すると海にいく。
子供の頃はこんな色をしていたかと時々驚くことがある。
観える色がまた変わる。


記憶   [心]

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水面を見ていると遠い記憶が呼び覚まされるような感覚になる。
その断片を拾い集めるのも写真の面白さ。

人には太い幹としての祖先があるが、それは無数の枝葉によって支えられている。
記憶のホストコンピューターが枝葉からの情報をとらえたり、枝葉へと答えを求めたりする。

ある場所に何度も通うことは何かの情報が動いているときかもしれない。
そんなときは長い時間をイメージしながら、すぐに答えを求めず、少しずつ撮っていく。
ストーリーよりも、記憶のエッセイ。






 [心]

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般若心経の「羯」の音をよむとき、ガムランを一字にたとえるとこの文字がぴったりだと思うときがある。
「羯」は諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶の最初の言葉で、サンスクリット語で「ギャ」と読む。
ビッグバン理論によると宇宙は爆発のように膨張し現在にいたる。
その爆発の音が「ギャ」で、最後に「ア」という静かな音が残る。
宇宙もガムランも「羯」と想像する。

昨日は年末から見続けていた夢の続きを探して鎌倉に行った。
夢は心のほころび、ときどき縫い合わせて未来を探る。
ハワイのカフナや、宮司や僧侶に言われた言葉の意味もまた思い出す。
繋げることをしなさい。

般若心経をよむと引き出しにしまった文字がランダムに飛び出してくるような感覚になることがある。
その文字を自然界のなかに見つけ、ビジュアルに変換するのもまた面白い。

もうすぐ五十才。
供養と光、還しては受け取る。






浄化   [心]

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「芸術家の使命は、人間の心の奥底に光明を与えることである」はシューマンの言葉。
浄化という文字が今年最初に心に浮かんだ。
そして光。

大地も海も今後どれほど汚されていくのだろうか。
心もまた同じように疲れ、病んでいく。

天と地。
人と自然。
繋げるにまずは心の浄化から。

そんなことを年の初めに考えている。





森   [心]

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一体、何と繋がっているのだろうと思うときがある。
空や風、水や雲、木や大地、虫や動物、すべてが連鎖のなかに存在する。
人類は地球にとって突然変異したウイルスなのかもしれない。
自然を死に追いやる悪性なもの。
しかし人も繋がっている。
森を歩きながらそんなことを考える。


一ヶ月に三度も箱根に行った。
自然に包まれていると夢や目的の向こう側に何かが存在するのだと考え始めた。
夢は行き先ではなく、その先にあるものこそ到達点。
それが何かはわからない。


母の喜寿を祝ったり、病院を往復したり慌ただしかった先週末。
いろいろな命が行ったり来たりした数年間。
冬の色が濃くなった。
寒さが心地いい。




G.journey   [心]

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国慶節に中華街へ行った。
それは中国の獅子舞がどうしても見たいという気持ちが強くなってきたからだ。

大陸や半島から多くの人達が日本という名が付く以前にこの島へ渡ってきた。
その歴史は古く縄文時代や弥生時代にまで遡り、稲作を伝えたのもその人達、渡来人だと言われている。
朝廷の文化や政治も支えてきた。
正倉院の宝物を見ればいかに大陸から多くの文化が渡り、日本がそれを取り入れてきたかがわかる。
おそらく僕の血のなかにも大陸や半島の血が交じっていることだろう。
海のルートもある。
黒潮にのって南からも。
カヌーという言葉が日本書紀の時代から使われていたように。
ちなみにカヌーはカヌあるいはカノと呼ばれ、狩野という字が使われた。
伊豆の狩野山、狩野川の由来はここからもきているという。
ここで作られたカヌはとても早いスピードで海を走ったという記録が書記には残されている。

はたして自分は潜在能力の何パーセントを使っているのだろうと考えることがある。
細胞から沸き立つものがあっても常識と考えられていたものに押さえつけられることも多い。
ニュートリノが話題になっている。
アインシュタインの絶対と思われた理論、常識から次の時代へと変化するかもしれない。
天動説も進化論も変わった。
高野和明さんの『ジェノサイド』がベストセラーになっているが、細胞の突然変異がいつか新しい進化論へと生まれ変わるのかもしれない。以前からふと疑問に思っていたことがこの本を読んで自分の中で色づくものを感じた。
茂木健一郎さんが「人が命の危機や魂の危険を体験すると、脳は、普段使っていない潜在能力を発揮する」と語ったと、木村秋則さんの新著に書かれていた。
横尾忠則さんのTwitterに「ぼくには単一のアイデンティティがない。ぼくの中には複数のアイデンティティがある。ぼくは一人ではない、ぼくの中には複数の「私」がいる。だからぼくの絵には特定のスタイルがないのだ。なぜなら、ぼくは生理的人間だからだ。」というツイットがあった。

かなり前のことだが高速道路で大事故を起こしそうになったことがある。
三車線の真ん中を100キロのスピードで走行しているとき、左車線のトラックが突然僕のクルマの前に現れた。死角に入っていたのだろう。
高速道路上でフルブレーキをかける。三車線のすべてにクルマが走っている。震えるハンドルを握り、タイヤの悲鳴を聞きながら、空いたスペースを探し飛び込みながらブレーキを操作する。
まわりのクルマも自分の行動もすべてがスローモーションで見える。
脳は瞬時に多くのことを判断する。冷静に。
不思議なことは重なり、その事故に合う状況をその日の朝に父親とその友人の僧侶は予言していた。
僕は夜に電話でそのことを知ることになるが、父が法事のことでその日の朝に僧侶に電話を入れた。
電話中に僧侶が「あなたのお子さんが数十分後に大事故を起こします。しかし私がいまそれを確認したのでもう大丈夫です。事故は回避されます。電話を切ったら本堂で経をあげます」と言った。
余談だがこの日、僕のクルマの何台か前を走っていたのがとある俳優。デビューしたての彼を追って仙台に同行。まだ経費が使えない彼とは事務所の知人の別荘で寝泊まりしてたくさんの歌を唄ってくれた。シャイで優しく、その後彼は人気がで、昨年は龍馬を演じた。三味線を持って楽しそうに唄う姿にあの日の出来事を思い出す。生きていてよかった。
そんな事故と紙一重のことが子供の頃にもあった。

時間軸ということを生き方で、写真の中でよく考える。
遺伝子に組み込まれた地球の歴史、生命の進化、その膨大なデータの中で、あるとき目覚めるものがある。複数の自分のなかであるきっかけで前にでてくる意識。もう一人の自分。
最近はその沸き上がる意識を自由にしてあげようと思っている。
耳の調子が悪く音楽から離れると、違う世界が寄り添ってくる。新しい発見が自分を変える。もう一人の自分との対面と考えている。重なり合う時間軸。
F1レーサーのセナは鈴鹿サーキットで300キロものハイスピードでコーナーに突っ込んでいく。
スローモーションに見えた景色のなかで、セナは「神を見た」と言った。
神とは何かは解らない。
それは自分の中に秘められたエネルギーのことかもしれない。
時間を超えたエネルギーなのか。
奇跡のリンゴの木村秋則さんは龍を見たことがあるという。
全ての時間がストップしたような状況のなか、龍は悠々と空に昇っていったと著書に書いてあった。
新著では龍は動物のようなものではなく、強いエネルギーが凝縮して「気(ガス)」となり、それが象徴し龍という存在になって人の眼には映るのではないかという。

円高、TPP、震災、放射能汚染、新エネルギー、みなそれぞれに考え、平和に暮らせる世の中を望んでいる。行動している。
友人や仕事仲間に外国籍の人は多く、二世三世の友人も多々いる。
そんな仲間達と語るときに国境はない。
ガンジーは語る「われわれが、金よりも多くの真理を、権力や富の華麗さよりも大きな勇気を、自己愛よりも大きな人類愛を示すようになったときにこそ、われわれの国は真に崇高な国になるだろう。」
現代のガンジーに、マザー・テレサになるのではないかと思う外国籍の友人もいる。
人類の辿ったグレート・ジャーニーは、回帰の旅に出ることにより、未来を、行き先を知るのかもしれない。
人類愛、そして地球愛。







海へ   [心]

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空也、行基、一遍、日蓮、空海、かつて仏教は日本を歩いた。
江戸時代に檀家仏教となり、檀家以外に布教することを禁じられ、仏教は歩かなくなった。

東博(東京国立博物館)に金剛峰寺や東寺などから空海と密教がやってきた。
歩いて来たわけではないが、クルマに乗ってやってきたのだろう。

金剛峰寺から来た黄金色の大日如来には圧倒された。
光の粒子のようでもあり、太陽そのものにも感じるし、エネルギーを放出しているようであり、吸い取っているようでもある。
東博の特別展会場のほぼ真ん中に置かれたこの大日如来を中心に今回の曼荼羅世界は形成されているように思えた。

空海の書にはいつも心奪われる。
巻物に書かれた字ですら、知らない間に一字一句読んでしまう。
不思議な魅力がある。
さすがに平安時代を代表する書家である。

曼荼羅は立体である。
平面に描かれていても空間を意識している。
絵を見るときも、仏像を見るときも、奥行きをイメージする。
すると様々なアイデアが浮かんでくる。
それは密教のことでもあり、制作のヒントだったり、生きることへのメッセージだったりする。
空也も空海も現在は歩いてはいないが、その永遠性に驚く。

東寺の壇上に大日如来を中心に創造された仏の世界は空海そのものであると言われる。
東寺ではもちろん壇上には入ることは許されない。
東博の素晴らしいところは柵がないため、個々の仏像の間を歩くことが出来、その仏像の意味、空間の意味を知ることができる。
なんといっても曼荼羅の中にいることを体感できることがすごい。
空海の真ん中にいるような面白さがある。



『別冊太陽 空海』の巻頭インタビューは梅原猛先生だった。
すこしだけ抜粋させて頂く。


ーーーーー
「密教はしっかりとした思想体系を持っていながら、最終的には、笑い、大笑い。きらびやかな現実を肯定する。そこから私の仏教見直しが始まりました。だから本当に仏教を勉強し直したのは密教から、空海からです。空海は私の仏教の師匠ですね。」
西洋は有の思想であり、東洋は無の思想。無の思想とは禅の思想であり、日本国全体が禅で考えられてきた。
「そういう日本論は間違っているのではないかと考え始めました。日本の文化のなかには禅の影響を受けたものもあるけど、実はそれほどは多くはない。むしろ、神道や密教の影響のほうが大きいのではないかと思い始めました。そして今から四十五年ほど前に日本の研究に入りました。今の私の日本研究があるのは、空海との出会いのおかげであると言えます。」



「デカルトの『我思う、故に我あり』は、考える自我が中心にあること。それに対する自然世界は、数学的な法則によって支配されているので、その法則さえ知れば自然を支配できると考えている。それがデカルト哲学です。こういう哲学では人間の未来を切りひらくことはできない。ニーチェやハイデガーも人間中心主義を免れてはいない、というのが私の最近の結論です。
空海に導かれて神仏や日本文化の研究を重ねて半世紀がたちました。八十六歳で今度の震災にあって、西洋哲学は人間中心主義という深い病にかかっていることを痛感しました。今回の震災を乗り越えられる唯一の道、それは同じ過ち起こす文明からの脱却です。自然を畏れ、慈しむ新たな文明へと舵を切ることです。」
ーーーーー




自分の発想、行動、その根底にあるものが、空海密教の思想に当てはまるということにいつも驚く。
日本最大の思想家であり行動家。
なぜいま東博に空海が来たのか。
震災とこれからの日本。
空海はやはり生きているのかもしれない。






空へ     [心]

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闇に浮かぶ景色を撮りたかった。
波にとける雨を撮りたかった。
消えることのない優しい音色。




結縁   [心]

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昨年あるきっかけで密教の灌頂を受けた。
仏と縁を結ぶ儀式であり、僧侶や信者に交じり奈良の真言宗の寺院で行なった。
眼は布で覆われ、マントラを唱えながら、僧侶に導かれ曼荼羅に向かう。
真っ暗な胎内を光へ、誕生へと向かうような不思議な感覚。
30年程前に「空海」の映画を見たとき、この儀式を受けてみたいと思ったが現実になり驚いた。
ジョギングで呼吸を整えると経を読むのは無心になりやすく、毎回違う感覚が自分を迎え入れてくれる。
あと数ヶ月で50才になるのだが、身体と心を健康に保ち、感性をさらに清め深め、いい仕事をするには20代には考えられなかったトレーニングが不器用な僕には必要になった。
空海は最も尊敬する芸術家であり、密教は総合芸術であり、宗教というよりも宇宙の哲学そのもののように感じる。
50の誕生日からサーフィンも始められたらいいなと考えることもある。
故郷静岡の海岸で波を見ながらいつも思う。無理だろうけど。
ハワイの波乗りには波と仏教を同軸上で考える人もいる。
宇宙を人生を解く鍵が密教には溢れている。
その案内人が遍照金剛、つまり空海。
「サーフィンと空海」そんな本のタイトルまで考える。
難しいものを面白く。

「バリの魅力は何ですか」と何百回も聞かれた。
「アニミズムがいまだ残り、忘れかけた日本の心がこの島にはまだあるようで懐かしい感覚になる」とか「人々が素朴で優しい」あるいは「島にいるだけで心が平和になる」などいろいろなことを答えたような気がする。一度行ってみないと理解できない感覚のなかにバリの魅力はあるのは事実。

今日僕はこの問いを受けたならこのように答えるだろう。
「その島は僕にとって縁のある島だった」




「空海と密教美術展」を観てきた。
感想は後日。

ゆくえ   [心]

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大学の先輩の写真展に行った。
渡部さとるさんとは年齢も一才しか違わず、卒業後はスポーツ写真の現場などでよく会った。
好きなカメラもローライ、そしてバリという共通点もあり気になる存在だった。
僕はいまだ漂流者のようなものだけど、先輩はもはや写真界では有名な存在。
今月はあるカメラ雑誌で同じ企画で登場する。
写真のことには実に楽しそうな目をして話す姿は昔と変わることはなく、今後も中心となって頑張っていくことだろうと感じ嬉しくなった。
http://www.tosei-sha.jp/gallery.html

先輩は大学時代と同じ町にいまだ住みその地を愛している。
僕は30年前に上京すると父の友人が所有する西麻布のマンションに住んだ。
田舎者にはビルに囲まれた狭苦しさに耐えられず、すぐに大学がある空の広い練馬に引っ越す。
仕事をするようになり長男として帰省しやすい私鉄沿線の町を選んだ。
本来はもっと山の中、海の側など自然に囲まれた環境で創作をしたいのだがなかなか住む場所を選べない状況。
カメラマンは目的地までクルマで出かけ、写真家は電車で旅をする。
時おりそんな言葉を聞く。
作家は旅こそ作品である。
力の湧き出る久しぶりの対話であり、旅の写真展だった。


髪を切りながら美容師さんから久しぶりにバシャールという言葉を聞いた。
バシャールに対してはごく一般的な知識しかなく、気になる単語もあったので写真展のあとに書店に向かった。
『ホ・オポノポノ』のマスターであり同名の著者ドクター・ヒューレンと会話したり、著書のなかに書かれていた自分自身を癒すこと、愛すること、心の平和のこと、神聖なる知能のこと、そんな言葉が単語の繋がりを変えバシャールの本に書かれていた。
そしてまさに今、自分の写真の撮りかた、写真や自然への対しかたの思考の源泉となることだった。

震災後、朝になると新しい放射能の情報や用語がニュースのなかで叛乱している。
まずはその言葉を調べ、自分なりの対応を考える。
政府の情報より自分の頭で理解する。
原子や科学のことを考えると宇宙という空間を強く意識するようになる。
さまざまな魂のことも同時に考える。
現世は幻なのか、、時間や空間の観念もまた変わる。
そんなとき真言宗の寺院で何度も体験した『阿字観』を思い出す。
なかなか僧侶の教え通りにはいかなかったが、宇宙の中に自分の心を入れてみることの不思議さと面白さは僕には宗教という言葉の意味を超えていた。
それは宇宙哲学。
バシャールもホ・オポノポノも真言密教も、根本は一緒のように考えると楽しい。
それが写真になればまた面白みも増す。
そしてあらためてガンジーの名言の意味を考えてみたくなった。

1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富   Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice

 マハトマ・ガンジー 『7つの社会的罪 Seven Social Sins』




『ホ・オポノポノ』徳間書店 
イハレアカラ・ヒューレン インタビュー櫻庭雅文 章扉撮影小原孝博
http://www.amazon.co.jp/dp/4198626049?tag=hoponopono-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4198626049&adid=1FQGMEAPZAR9CPV55J42&


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山内新さん絵画展&ライブのお知らせ@渋谷モンキーフォレスト
絵画展6/1~6/15
ダルマ・カイナ(リンデック・竹ガムラン)ライブ 6/11
http://www.monkey-forest.jp/News/news20110601.html


Terang Bulan 10周年コンサート『水の星に生まれたキミと』 7/10
ラゾーナ川崎プラザソル
http://motosbulan.exblog.jp/13709741/


安達ロベルトさん脚本・作曲・演出の音楽劇「さまよえる魂」 6/16
http://robert.cocolog-nifty.com/

川   [心]

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「生まれ変わったら◯◯になりたい」という表現がある。
再び生まれかわりたいとは思わない。

遥か昔から、いくつもの人生を送ってきたかもしれない。
バリやハワイ、沖縄や熊野など、縁ある土地もあれば、きっといつの時代かに共に過ごした人とまた巡り会えていると感じる時もある。

これからの人生にさえ何が起こるかわからない。
そこにあるものをまっすぐに、しっかりと心に焼き付けていきたい。





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百合   [心]

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ホ・オポノポノは、ハワイで祈り、許し、などを現す言葉であり至高の方法だという。
その達人にハワイで、日本であったことがある。
僕はそのうちの2人を取材したことがあり、単行本の口絵などで一緒に仕事させてもらったこともある。

彼らは人の心をよむこともできるようで、さりげなくタイムリーなアドバイスをしてくれる。
写真家としてステップアップする心構えと、初歩的な方法も教えられ、そのことを実践している。

彼が言うには百合の花は人の心を癒す力を持っているという。
今年はいろいろなところで例年よりたくさんの百合が咲いている。
猛暑で疲れる日本のために、百合は頑張ってくれたのだと思う。






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暦   [心]

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ジョジョ! ジュジュ! ジャー ココカン! ジェジェジェ!
ジョー ジュジュ! ジュワーン ジュワーン♪

30個はある大型ガスコンロの上に置かれた中華鍋や鉄の板。
それに米を入れたり、油をはったり、食材などを炒めたりしながら音楽を作る。
火や竃は聖なるものであり、この音楽もまた聖なるもの。
最後に稲穂を奉納し火の音楽は終わる。
赤い炎と火のガムランは感動的だった。


という夢をみた。
目が覚めると空は明るく、夏の虫が鳴き始め、やがて鳥達がさえずり始めた。
4時28分、寅の刻、はじまりの時。

昨日書店で見つけた本に伝説の猟師の話が書かれていた。
まだ読み始めてはいないが、この猟師は動物の行動や生態を熟知し、先回りしては鉄砲を構えていたという。
筆者が意地の悪い質問をして、「それでも打ち損じたらどうしますか」と聞いた。
即答で返ってきた言葉は「暦をみる」
その日の暦を読めば動物の逃げる方位がわかるという。
暦は統計学でもあり、猟にまでこの統計学は通じるのかと思い、今度ゆっくり読んでみたいと思った。

昨夜も『龍馬伝』を観た。
坂本龍馬は33歳で生涯を閉じるが、もし彼があと20年、せめて10年生きていたら日本はさらにどのように動いたかをみたかった。
なぜ33歳なのだろう、天はなぜこれほどまでの人物に33歳までしか命を与えなかったのであろう。
子供の頃からいつも考えていた疑問。
今朝、暦と龍馬が一瞬かさなった。
龍馬は誕生日も命日も同じ11月15日。
もし輪廻が実際に存在するなら、龍馬はさらに新しい時代に、新しい分野で革命を起こすために生まれ変わる必要があったのではないだろうか。
天からみれば、暦からすればありえることかもしれない。

最近は足下の風景をみようとしすぎて、上からの視点を忘れていたことに気がつく。
もう少し上方から自分に起きたことを推測してみると、これからの自分のことがよりわかるように思えた。




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知   [心]

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日本の「知性」を撮影した。
常識の対極にあるものは非常識ではなく、真理だと思った。
枠から抜け出す人間力こそ大切。
知識より知性。


よい週末を!

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 [心]

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静岡に帰省し、初盆の打ち合わせをする。
むかえ火を体験するのは祖母のとき以来だから30年は過ぎている。

突然の弟の死はショックだったし、いまでも心のなかに不思議な感覚がある。
空洞というのでもないし、後悔でもないし、何かが動いている感覚。
生へのエネルギーなのかもしれない。
これは両親と接していても感じることだが、生きるということを大切にしたいという意識。
生への感謝が、旅立った人への最大の供養だと考える。

20代のときから、自分の中に描いていること。
40代までが基礎作りで、ここから一つずつ作品や実績を積み重ね、すべての才能をだしつくす。
身体と心と自分への信頼。

朝に走っていると、日中の熱を感じなくなる。
過ごしやすい夏である。
静岡のお盆は一ヶ月遅い。
八月は弟も先祖も帰ってくる。
心の中にも熱い夏が訪れる。

これからの人生が熱い夏であり続けたい。








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はじまり [心]

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お客さんの多い店にいく。
肉屋さんでも、魚屋さんでも、豆腐屋さんでもいい。
お金を払うとき、みな嬉しそうな顔をしている。
「今夜もまた美味しいご飯を食べられるんだ」という期待感。
人を幸せにする仕事っていいなと思う。

自分の写真のことを考える。
芸術性とか、メッセージ性とか、それは二次的なことではないかと思う。
誰かを幸せにしたいから、喜んでほしいと思うからシャッターを押す。
好きな女の子でもいいし、可愛い子供でもいい。
写真は笑顔から始まる。

ちょっと気難しそうな人と打ち合わせするとき、あるいは話が複雑になりかけたとき、笑顔を意識する。
作り笑いをするのではなく、心に笑顔をイメージする。
話のあいまに、自然と笑顔がでる。
笑顔は潤滑油だなと思う。

縁。
過去において関係があった人同士が、現世でまた再会するということも考えられる。
しかし最近思うのは、縁とは未来からのプレゼント。
川は、上流から下流へと流れ、海へと続く。
そして太陽によって水蒸気となり、雲になり、雨になり、また川に注ぐ。
自分の中で流れを感じれないときは、そこに堰を作ってしまったとき。
川の流れが堰止められたゆえに未来からのプレゼントがたどり着かない。

写真を撮り続けて考えるようになったこと、それは「本質」。
人や、樹や、動物や、地球の本質。
それは科学者や、芸術家、哲学科、宗教家など誰でも行き着くところ。
表現手段が違うだけ。
料理もおなじ。

写真を撮りに山道を歩くと小さな神社があった。
賽銭が盗まれたり、いたずらされないように小さな神社にはガラス戸がしっかりと閉められていた。
風は通らず、飾られた緑の植物は枯れ、さも熱そうな空間がそこにはあった。
とても違和感を覚えた。
僕が神様ならそこにはいない、いやいたくない。
賽銭が盗まれるのが嫌なら賽銭箱を置かなければいい。
神様を必要なときだけ都合よく使おうとするように思える。
僕は賽銭をいれず、ちょと奮発して近くの自販機で冷たい水を買ってその場に捧げた。

人も、植物も、あるいは神様もおなじ。
笑顔で相手と話してみたら、そこにあるほんとうのモノがわかるかもしれない。





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 [心]

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世界的に有名なミュージシャンを撮影した時のこと。

カメラを向ける。
「いままで世界中の都市でコンサートをして、いろいろなところでカメラマンに写真を撮ってもらったけど、いつも不思議なものが写っているんだよね。確率として7割くらいあるかもしれないよ」

思わずミュージシャンからカメラをはずして聞いてしまった。
「なにが写っていたのですか?」

「パリ(Paris)では上半身が裸で、足に鎖とおもりの付いた黒人の男性が僕の身体に重なって写っていたよ。アフリカから連れて来られた奴隷だと思うよ。後に知り合いの霊能者に日本で聞いたところあなたにアフリカから船が来ているけど乗らないでしょうと言われたよ」と明るい笑顔で話してくれた。
「音をだすということは土地に住む霊を目覚めさせるということでもあるんだよ」とも。

バリ(Bali)でもニュピという新年を迎えるときに、爆竹を鳴らし、土地の霊を浄める儀式を行う。
祭りで奉納されるガムランも天と地を結ぶ音。

そして土地にもまた古くからの層が積み重なっている。
自分の精神がどの層と繋がるかはその人次第だと思う。
表面だけなのか、深い時の流れを感じられるかはイマジネーション。

土地と精神がシンクロし、らせんを描いたときに見る風景はどんなものだろうか。
そんなことを考えながらたまにはシャッターを押すのもいいかもしれない。





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虎    TIGER    [心]

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年齢を重ねていくということ。
少年は経験を積み、大人へと成長する。
青年は痛みを知り、人として丸みを帯びる。

40代、50代、これからどこに向かうのだろう。
人生でいうならまだ半ば。
引退するのではなく、人として試されるとき。

経験は時として、思考や行動を制限してしまう。
感性をも錆び付かせてしまう危険すらある。
やるべきこととは。
流れとは。
運命とは言わないが。

虎になる。
自分を取り巻く言葉や、マイナスの衝撃には動じずに信じたものを追求する。
流れを見いだす感性と、決断する力。
虎のようにゆったりと、そして一瞬に爆発する力。
自分にとって年を重ねるとは、虎へと変化することだと思っている。






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